私的アンチパターン:本屋
ソフトウェアエンジニアは、本屋になってはいけないという話をする。Amazonのことではない。
私には、わりと本を買い漁ってしまう癖というか衝動がある。始まりは大学生の頃に遡る。京都に住んでいた私は、大学生協書籍部、四条にあるジュンク堂、丸善、それから大学の近くにある古本屋などへ行っては、数学や物理学の本を衝動的に買い漁った。まともに読みこなせたものは数少ないので、とんだ散財癖でしかなかったわけだが。この衝動の原因は、自分の根っこにあるコンプレックスが影響しているのだと分析してはいるが、その話はまた別の機会にしよう。
時は移り20代中盤、プログラマーになってみようと決意した私の衝動の対象は、ソフトウェア関係の書籍になった。現在は絶版になっている書籍を、その頃にたまたま購入していたりして、ラッキーだったと思えるものもなくはない。しかし、Windows 32 APIリファレンスなど、ほとんどは本棚の肥やしで高価なコレクションでしかなかった。とんだ散財癖だ。
ともかく私は、たくさんの本を買ってきた。ある趣味にハマって際限なくお金を使ってしまう現象やその対象を、底なしな状況とかけてだと思うが、沼と呼ぶようだ。まさに私は沼にハマり続けているのだろう。まだ抜け出せていない。
さて、しばらく前になるが、IT・Web系twitter界隈で以下のtweetが話題になった。
業界の悪習: 新人に10冊も20冊も自分が読んだ本を薦める
— Naoya Ito (@naoya_ito) 2016年12月22日
私もこれが悪習だということには同意する。その理由を語ってみよう。
本を読むには、コストがかかる
本を買うには金銭的コストがかかる。図書館で借りるとしても、相応の労力が必要だ。また、本を読む速度は人によって違いはあるが、それなりに時間がかかることには違いないだろう。それがその人にとって娯楽にあたるのであればコストと考えることに意味はないが、仕事で使うような技術を学ぶための書籍となれば、読んで学ぶためにかかるコストを度外視することはできない。
また、読む対象の書籍が、良書・名著といわれるものの場合は、読んで理解するためのコストが相対的に高いことが多い。
コストのかかる行為を他人に求めるということには、慎重であるべきだ。
本に書かれた知識には、受け手にとって最適な学び時がある
映画マトリックス(例えが古くて申し訳ない)のように、知識や技術を脳に直接インストールできたら理想的だ。分かりきっているが、現実はそうなってはいない。
そして、私たちソフトウェアエンジニアが身につけていく開発スキルというのは、ソフトウェアが高度に人間の脳内の活動から作られるものであるにも関わらず、アタマだけで学んでいくことが難しいスキルだと私は考えている。何らかの実践を伴わないと、作り手として成長していけないのは、何もソフトウェアエンジニアに限った話ではない。
そして、取り組む人間の持っている前提知識や問題意識、興味と技術レベルとがマッチすると、その実践によって人は大きく成長する。逆に言えば、実践で大きな学びの効果を得るには、問題意識や興味も育てておかないといけないということだ。
本の話に戻ろう。
文章には、文脈=コンテキストがある。著者の持つコンテキスト、時代的な背景などもある。そして、読み手の側にも、今置かれている状況としてのコンテキストがある。
自分が過去に読んで有益だった書籍だからといって、ソフトウェアエンジニアの新人に分厚い本を何冊も薦めるというのは、筋が悪い。コンテキストを無視しているからだ。むしろ、読んで何かを学んだ経験を元に、その学び時を見極めて推薦することこそが、先人の役目だ。
良書と言われる本でも、年を経て読み直すと違う面が見える
人は成長し変化していくものだから、問題意識の対象が同じであっても、別のものに見えてくることはある。また、異なった視点から見えるようになっていることだってある。人は常に何かを学んで成長しているからだ。逆に、見え方が何も変わらない場合もある。
ある本を、時期おいて何度か読むと、初めて読んだときには分からなかった部分が、なぜだかスッと分かるようになっていたという経験は誰しも持っているだろう。そして、さらにまた1年後に同じ内容を読んだら、今度は反論を持つようになっていたということだってあるはずだ。これは論理的にあり得るという話ではなく、現実にあるのだ。
ここから言えるのは、本に対する評価を常にアップデートしていくべきだということだ。もしある本の内容について、何年も評価をアップデートする必要がなかったとしたら、次の3つのどれかの状況だと言える。
- 本の内容が普遍的
- 本に書かれている対象に対して、自分の考え方が更新されていない
- 本の内容を理解していない
私は本屋がとても好きだ。しかし、どの本屋へ行っても同じように並べられているような本には興味が湧かない。棚のすみにあってタイトルや背表紙の雰囲気が気になって手に取り、パラっとめくったら気になる文章や表現があった。そんな出会いが好きなのだ。そんな一期一会を逃すまいと、ついつい買ってしまうのだが・・・。
毎年毎年代わり映えのしない新人向け書籍リスト、そんなものは無視して良いと思う。それは退屈な本屋でしかないのだから。エンジニアは、本屋ではないのだから。
一方私には、本の沼から抜け出す努力が必要だ。本屋へ行くことが、私にとっては人生のアンチパターンなのかもしれない。